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望んだものが手に入ったのに,幸せを感じなかったのはなんで?

毎週土曜日の昼食は,唐揚げ定食と決まっている.

なぜなら一番安いからだ.

しかし,今日は味噌ラーメンが無性に食べたくて味噌ラーメンにした.

注文し,待っている間は少しのワクワクと楽しみがあった.

そして,いざ口にした時,そこまで幸せは感じなかった.

おにぎり一つで大きな幸せを感じたのだから,おにぎりよりも高い味噌ラーメンはもっと大きな幸せを感じると思っていた.

だが,食べ終わってもそんな幸せはなかった.

なんで,味噌ラーメンを食べた時,幸せを感じなかったのだろう.

望んでいるものが手に入ったのに,幸せを感じなかったのは,なんで?

味噌ラーメンを食べ終わり,なんで幸せを感じなかったのか考えていた.

すると,あることに気づいた.

食事中,仕事のことを考えていた.

仕事のことを考えていたから,味噌ラーメンを食べた時に幸せを感じなかったのだろう.

幸せは,幸せに気づくこと受け取れる自身の状態があって初めて享受できるものではないか.

また,幸せは手に入れるものでなく,感じ取るものではないかとも思った.

ここで新たな疑問が生まれた.

幸せを享受できる自分の状態とは何だろう?

それは,全力を出している状態だと思う.

何かに集中して目の前のことに取り組んでいると,休憩中も目の前の食事に集中できる.

その時,私は幸せを感じるのだろう.

以前,180円のおにぎりで大きな幸せを感じた時も仕事に集中して取り組んでいた.

幸せは,手にいれるものではなくそこにある幸せに気づくことであると思うが,幸せのことなど考えていない集中した時間が私を幸せへと導いているのかもしれない.

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